安部典子、古武家賢太郎、永山祐子、齋木克裕
「A House is not A Home」
開廊日時: 12:00-19:00 *日・月・祝日休廊
展示作品: 4名のアーティストによる絵画、写真、彫刻作品
特定の「場所」における記憶、身体の、そして魂の「ランドスケープ」、「空間」への投影と照応、それらをテーマにした展覧会
私たちの魂を包む器はどのような大きさでどのような感触の、どのような形をしたものなのだろうか。安部典子、永山祐子、古武家賢太郎、齋木克裕。この4人のアーティストが作り出す世界観と向かい合った時にそんな疑問が浮かんできます。
安部典子は紙を一枚一枚慎重にカッターで切り抜き、それらをひたすら重ねていくという、単純ながら強い集中力を必要とする作業を経て作品を制作しています。美しい曲面が印象的な真っ白な小立体の彫刻作品はまるでコンピュータで再現した精密な立体地図模型のような完璧な造形でありながら、実に有機的な暖かみを併せ持つ小宇宙です。氷河の流れや山脈を空から俯瞰したかのような造形的な美しさはもちろんのこと、精神的な緊張感を内包する孤高の存在感は作品を制作する上でアーティスト自身が描いている精神の地形図、宇宙観によって成立しているように思われます。ひとつひとつは小さく、平面的な単位がたくさんの時間を重ねて積み上がったときにはじめて展開される壮大な精神の地図。自己と世界、その接点が希薄になり一体化したところに作品の内包する強さと永遠性があります。
古武家賢太郎はイマジネーション溢れる自由闊達なドローイングでその名を知られるようになりました。色鉛筆で描かれる豊かでユニークな世界観の広がりは見るものを魅了します。ここ1、2年はロンドンで制作活動を続けている古武家の作品にも少しずつ変化が見られるようになり、描かれる人物像や風景、いろいろな要素の中に静かな透明感が感じられるようになってきました。もともと表情のないポートレイトを描く古武家ですが、人物のフォルムにいくらかのデフォルメ表現を加え、その瞳に底の見えないヴォイド=がらんどうな空間を描く傾向がより強くなり、その効果によって描かれるモチーフは個別の物語や象徴性から解放され、匿名性と永遠性をあわせもった存在として見るものの心をとらえます。
現象としての建築という概念に注目する建築家・永山祐子は、その考え方を具現化する実験装置としてアートピースを制作します。今回展示される小立体作品「宝物標本箱--specimen of treasure」は標本箱におさめたごく小さな9つの彫刻作品ですが、紫外線によって硬化する性質をもつ樹脂を紫外線レーザーで積層状に成形していくことで作り上げる作品です。この技術は「光造形」と呼ばれ、工業製品のデザインマケットを作る際に用いられるかなり専門的な技術で、普通に考えればこの手法によってアート作品を作るという発想は生まれないのではないでしょうか。永山は我々が当たり前と思っている空間やものの成り立ち方をいったん解体し、そこに個人的な疑問や実験要素を加え、再構築するクリエイターでもあります。この作品についても、その成り立ち方は既存のアートの枠を超え、ものと人との関係性や、ものの捉え方といった科学的な問いかけに対しひとつの答えを示しているようにも感じられます。
写真の彫刻的アプローチ、あるいは抽象表現に着目して制作を続ける齋木克裕は自身のカメラのファインダーにとらえた風景を切り取り、それを平面、立体上に再構成することで見たことのない光景を作り上げます。写真のプレゼンテーションの手法はミニマリズムの考え方に強く影響を受け、対象を単純化し、表情の痕跡を極限までそぎ落とし、イメージを反復することにより、齋木の考える新しい造形を作り上げます。近年は特に建築に着目し、ミース・ファン・デル・ローエやフランク・ロイド・ライトなどの巨匠の名建築物を撮影し、そのイメージを反復、時には反転させることで新しい空間イメージを再構築し作品化しています。我々の日常の身体感覚、空間把握の感覚が、アーティストの編集によって揺さぶられる感覚。見慣れた建築の名作をモチーフに展開される迷宮的な世界は静かな発見に満ちあふれています。今回の展覧会ではコラージュ展開した写真作品、および写真を使用した小立体の彫刻を展示いたします。
すべてのアーティストに共通することですが、アートはアーティストという自己があり、その自己を包む世界があり、その世界をアーティスト自身がどのように捉えどのようにアウトプットしていくかという実験です。そのアウトプットの結果である作品はしかしながら鑑賞者なしには成立しません。この展覧会では4名のアーティストがそれぞれに持つ世界や現実の捉え方、そしてそのメッセージを観客がどのようにして受け止めるかということで成り立つ、透き通って静謐な鏡のような展覧会になることでしょう。