チョン・ジュンホ 個展「BLESS YOU」
2000年代以降ますます存在感を増してきた韓国現代アートを牽引する若手アーティストの一人として国際的な注目を集めるチョン・ジュンホは、実在の紙幣の中に描かれた風景の中に人が入り込んで動き回る映像作品のシリーズを通してその名を国際的に知られるようになりました。
代表作のひとつ「The White House 」(2005 - 2006年)では、アメリカの20ドル札の中のホワイトハウスの正面に一人の人物が入り込み、ホワイトハウスの窓や扉をペンキで塗りつぶしていきます。最後にはまったくドアも窓もない、完全に閉ざされたまさに本物のホワイトハウスが出来上がり、ペンキ塗りは梯子を片手に立ち去っていきます。ユーモラスな人物の動きの背後に、時代への鋭い批判精神を秘めたこの作品は、第一回シンガポールビエンナーレなど国際的な展覧会の場で発表され、大きな反響を呼びました。
釜山に生まれ、様々な職業を経験した後、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで学んだチョン・ジュンホの作品には、英国的な論理的で幾分シニカルな批判精神と、1980年の「ソウルの春」に代表される韓国の民主化運動を少年時代に肌で感じた世代に顕著な、権力への反発、あるべき未来への熱い希望と理想の喪失、そして夢の喪失後も変わらない時代への鋭敏なまなざしを見て取ることができます。
2007年にニューヨークのPerry Rubensteinギャラリーで、そして2008年に韓国のアラリオ・ギャラリーでと、ふたつの会場で構成を変えて発表された展覧会「HYPERREALISM」は、これまでのチョン・ジョンホのアーティスト活動の集大成ともいうべき壮大な個展でした。映像作品が先に有名になったチョン・ジュンホですが、本来は彫刻アーティストとしてのスタンスをとっています。この個展では、いくつもの大作の彫刻と映像作品が同時に発表されました。「I Shall Return」と語り続ける顔のないダグラス・マッカーサーの肖像、国境の壁を上って中国側に逃げようとする脱北者たちの様子をアニメーション化した映像、ソウルの戦争記念館にある著名な「兄弟の像」を映像化した作品、鎮静剤であるアルプラム錠剤を細かく砕いてその粉でつくりあげた金日成の立像など、作品の多くは政治的、歴史的要素を取り上げていますが、アーティストはめざしたのは壮大な物語への直接的なアプローチではなく、個々人の心の中に潜む「個人的な記憶や意志」が歴史という大きな渦を結果的には作り上げている状況を扱っているのだと説明します。彼は、権力と神話は、いつの時代にも個々の心の中に潜んでおり、時としてそのパーソナルな精神の状況が恐ろしい悪夢を実在化してしまう恐れをはらんでいることを示唆しているのです。
今回の新作展では、「HYPERREALISM」にとってかわり、「Magical Realism」という言葉が展覧会全体を俯瞰するキーワードとしてあげられています。「我々の時代のリアルな現実を、形骸化された手法をとらず、アートの中で表現したい。そのような現実的な視点は幻想や夢と入りまじって、夢のような詩へと形を変えるはずだ。」とチョン・ジュンホは語ります。目に見えるものと目に見えないもの。目に見える場所に示唆された柔らかいメタファー。人の心に届くアートとは、誰もが理解しうる言語を用いながら、優雅なユーモアのセンスを含んだメタファーを示唆することにより、鑑賞者を、自分自身の投影から始まる壮大な物語の中へ導いていく力があるのではないでしょうか。そして、権力や野望によってゆがめられた不幸なシナリオは、幸せな結末をもとめる無心の夢や信じる力を取り込んでいくうちに、新たな未来への幸福なパラレルワールドを発展させていくことでしょう。表題の「BLESS YOU」はアーティストから同じ時代を生きるまだ見ぬ鑑賞者へのあたたかいメッセージなのかもしれません。