ジュリアン・オピー
「Street Portraits」
1958年ロンドン生まれのジュリアン・オピーは80年代初期にアーティストとしての本格的な活動をスタートさせました。その作品群は広い世代のアートコレクターやアートファンの間で常に「時代を反映する革新性」や「直感的な驚き」を伴って広く受け入れられてきました。作品の魅力はユニークで簡潔な独自のアート言語にあります。そのアート言語は受け手が専門的なアートの知識やコンセプトの読解を必然とせずとも、本能的ににオピー作品の本質を捉えることができる強度と伝達力を持っています。
1980年代初期に若いアーティストとしてその芸術活動をスタートしたオピーは、ユーモアと批評性をあわせもった彫刻作品で一躍イギリスのアートシーンの寵児として注目されるようになりました。誰もが知る印象派やモダンアートの名画をラフに描き、散らかしたように構成した金属製の彫刻は、驚きをもってアート界に迎えられ「絵画とは何か?」「イメージとは何か?」といった問いかけを投げかけていました。その後、80年代後半に入るとオピーの作品からいったんイメージがすっかり消滅します。この時期発表された工業製品のような彫刻の数々は、我々が社会ですでに目にし無意識のうちに利用している日常的な「形」を、機能やイメージをはぎ取った純粋な形のまま提示することで「ものと対峙する」我々の視覚的体験を鮮烈に浮かび上がらせました。
90年代に入るとオピーの作品にはイメージが再来、氾濫し、そしてこの表現過程で獲得した芸術的言語が、さらなる飛躍の時代へと発展していきます。イギリスの人気ロックバンド、BLURのメンバーの顔を単純化し、生き生きと描いたアートワークに代表されるようなポートレイトの数々。F1のドライビングコースを骨太でシンプルな表現で二次元化したレーシングコースのシリーズ。ポーズを取るモデルや、街を歩く人々のムーヴメントを鮮やかに描いた人物像のシリーズ。街角で目にするサインやピクトグラムを想起させるこれらのモチーフの数々はペインティングだけでなく、映像作品へも形を変え、見るものの国籍や年代を越え大きな共感をもって支持されてきました。
20世紀末からミレニアムをはさんで21世紀へと突入したこの時代を大きく変えたのは間違いなくコンピュータによるグラフィックの世界であり、またインターネットによる高度に張り巡らされた情報の社会です。オピーの表現するシンプルなアート言語はこれらの時代背景の現実と密接に結びつき、時代の共感を獲得することに成功しました。すなわち、情報が氾濫する社会にあって、どういった知覚の信号を人間が選択し、どういった情報の単純化を個々が行うことにより、この世界の現実が出来上がっているのか。ものすごいスピードで変化してゆく3次元世界を2次元世界に置き換えた時、どのような表現が人の知覚の本質により速くより強度をもって到達することができるのか。アートは我々が生きているこの世界の質感をいかに生き生きと再現することができるのか、そして五感による質感の総合的経験が、人の人生や社会にどのような意味をもたらすのか…。一見洒脱でポップな表現に見えるオピーの作品の背後には、アートが常に追い求めて来た普遍的な問いかけに対する答えが、深い洞察力と思索を伴って見え隠れしているようです。
広重の風景画や歌麿の人物像を敬愛するオピーは日本にも関わりが深く、日本の風景を描いた作品が東京国立近代美術館に収蔵されているほか、電通本社の「歩く人」の彫刻、2008年の水戸芸術館での大規模な個展などを通してオピー作品は日本のファンにも広く知られています。
「Street Portraits 」と題された今回の個展では自身の住むロンドンの雑踏の光景だけでなく、東京の賑わうストリートで無作為に撮影された人々の顔を題材に新たなポートレイトのシリーズが展開されます。
今回の個展の新作についてオピーは以下のように説明しています。
「制作スタジオから外界を見渡して、いま世界がいったいどんな気分なのかを描写する現代の言語を探しています。これらの作品は、ロンドンと東京、二都市の街頭で集めたイメージを、LEDやビニール、アクリルをなど商業的なメインストリートでみられる画像生成技術と組み合わせて作りました。それは、原始時代から行われてきた人間の描写方法 —顔のイメージを一瞬とめて記録するポートレイト(肖像画)— を、刻石やモザイク画、油彩ではなく現在の素材をつかって、そして象形文字からオールド・マスター、浮世絵、マンガまでに至るアート言語から抽出したかたちなのです。」
我々が目にする日常を、既存の媒体の様式や歴史的文脈を取り入れ、独自の創造的視点から表現するジュリアン・オピーのアート。SCAI THE BATHHOUSE では4度目の個展となる本展に是非ご期待ください。