ニナ・カネル / 和田礼治郎
42 Days
開廊時間:12:00 - 18:00
日・月・火・水・祝日 休廊
協力:Mendes Wood DM, São Paulo, Brussels, Paris, New York
ニナ・カネルと和田礼治郎は、それぞれ独自の芸術言語を用いて、絶え間なく動きながら循環する物質と環境の移り変わりの関わりを探ります。両作家がめざすのは、拡張された彫刻概念から出発し、生物学、化学、エネルギー、あるいは哲学においての隙(loophole)や繋がりを見出すことです。それによって、物質とは単に機械的で受動的なものではなく、ダイナミックで変化をもたらすものだという理解が可能なのです。
二人展「42 Days」は、近作の立体を中心に、カネルと和田の作品が二つの重なり合う空間配置に構成されています。開催期間中の時間の経過も、能動的な構成要素のひとつであり、人間や非人間のアクションが介入、持続するエネルギーの力が展示空間に作用を及ぼします。ものの性質や状態の移ろいやすさに焦点を当てた作品において、鑑賞者は「過ぎゆく曲線」と二人が緩やかに表現するものを目撃することになります。どの瞬間も再現不可能かつ唯一無二であり、常に時間が非直線的に流れる中間的な状態にあたるのです。二人は、体験における究極の対価として可視性と永続性を中心に据えることに異議を唱えます。その代わりに、外見上の安定性をもたらすインフラストラクチャーやパターンを通して詩的に語りかけているのです。
最初の展示スペースには、それぞれの2つの作品群から選ばれた作品が併存しています。カネルの《Days of Inertia》(2024)は、鮮やかな自然光や、遠くから伝わる振動など、周りの環境の変化と作用し合うように、日本で制作された彫刻です。床の上に直置きされているのは、伊達冠石の石板2枚で、その上には水が浅く張られ、石板の縁は水を弾くナノスケール(極薄)の疎水性の膜でコーティングされ、水が床にこぼれるのを防ぐだけでなく、振動を受ける水面のゆらぎも目に映ります。こちらが水平的な作品であるのに対し、和田の《STILL LIFE》(2024)は、垂直性を主張した作品で、変形したトリプティクス(三連の祭壇画)のように垂直ガラス板が斜めに配置され、その隙間にいくつもの果物が投げ込まれています。停止した時間のパノラマとも言うべき情景を乱すように、熟して萎んだ果物は時折落下します。ガラス、金属とともに、永続的な成長を謳ったモダニズムの初期に取り入れられた素材ですが、この作品ではそのガラスが、移ろい易さだけでなく、精神性の根底にある諸々な概念の指標としての朽ちた果実と直に触れています。
他の作品は、展示スペースの壁面に展示されていて、和田の《ABSINTHE MIRROR》(2023)で、鑑賞者は緑色をしたアブサンの向こうに映り込む、自分の姿を見ることになります。題名にある「アブサン」は、(ヨーロッパ)芸術のモダニズムの時代に、多くの人を陶酔と退廃の境地に誘うことで悪名をはせた蒸留酒です。他方、カネルの《Bonfire》(2022)は小さな銅製彫刻で、かつてコンセントとして使われていた壁面の部分から空間に溢れ出てきている彫刻です。アンリ・ルフェーヴルの「燃えさかるかがり火としての都市」というイメージに着想を得たこの作品は、ギャラリー空間内のエネルギーの流れを静止した指標となる彫刻とすることによって、空間に多孔性と流動性を与えています。どちらの作品も、建物と身体を隔てるインフラ的な境界(カネル)、あるいは生理的・心理的な境界(和田)を探ることで、内側と外側の境界でのバランスをとっているのです。
第1の展示スペースが、抑制された緊張感に包まれているとでも呼べるのに対し、第2のスペースは物質の循環や過剰さをさりげなくたたえる構成として捉えます。和田の4連作《EXOSPHERE》(2023)には、干渉色を帯びてまるで銀河のように回転する作品を創り出すために、磨かれたチタン板が使われました。裏から高温で熱せられたチタン板は、冷却の過程で外から力を加えなくても湾曲します。作品は、鑑賞者の位置によって無限の表情を見せ、まるで新しい生命が誕生する瞬間のような、宇宙創造のビジョンを表現しています。《EXOSPHERE》の中心には、《Elsewhen》(2024)と題された、静かなうなり音を立てるミルのような装置が置かれています。「Elsewhen」とは、予想外の言葉で、空間と時間を纏める表現です。カネルが、鉱物と、テクノロジーに隠された制御困難な生成力の両方に関心を持ち続けていることから制作されている作品の一つです。様々な場所を歩いて集められた小石の数々は、不規則な凹凸を持つ小石とスムーズに動く機械との間の不規則な相互作用によって、絶えず転がり続けています。しかし同時に、この機械は、拡大し続ける相互依存のネットワークの中に存在するすべての生物の命に共通する、大小さまざまな力の相互作用について考えるきっかけともなります。
二人の控え目で僅かな芸術言語は、1960年代から70年代にかけて日本でも西洋でも実践された、解放的なミニマル・アートやコンセプチュアル・アートに通じるものがあります。美術史においても政治においても、地殻変動的な変化が続いたその時期、成長神話の限界や、地球上の生命に対するその影響が、それぞれ明らかになりました。そして今日、これらの問題の緊急性はますます高まっています。カネルの実践にみられるように、人間の尺度(ヒューマンスケール)を超えた物質的エコロジーを活用することも、和田のアプローチのように、物質と精神の両極から宇宙-生命-時間の構造を追求することも、共存のための究極のパラダイムとしてのプロセスと変化を意識する上で有効な芸術的指標だと言えるでしょう。
* "Meet Me in the Fourth Division of the Hour of the Goat" は、毎日、開廊時間の中間時点で行われる瞬間調光ガラスへの干渉である。